最高裁判所第一小法廷 昭和22年(れ)312号 判決 1948年3月04日
主文
原判決を破毀する。
本件を廣島高等裁判所に差し戻す。
理由
被告人辯護人菅野次郎上告趣旨は「原判決は被告人が昭和二十一年五月下旬頃から昭和二十二年七月上旬頃迄の間犯意を繼續して三十七回にわたり岡山縣邑久郡鹿忍町所在鹿忍町農業會精米所等約三十個所において他人所有の糯米二斗、玄米二十俵、押麥七斗二升、裸麥五俵二斗、白米三升、小麥四斗、小麥粉三百匁外雜品數十點を窃取したとの事実を認定し、その證據として(一)被告人の供述、(二)被害者又は管理人である岡崎若松、長野三次、吉川誰一、近藤博、爲房鶴松、浮田一次、尾田利次、木村佐代治、山本清太、柴田利夫、大熨正夫、岡春太、中尾伊作、横江比佐澄、大森均、大重孝太郎、久本淺吾、万成伊勢吉、馬場安意治、後藤惣平、小竹策太、畑中茂、萬所高夫、大重義雄、野口美左雄、宮崎敬一、小林利平、大田屹、堀丈夫、鹽田秀太郎提出の盗難届若くは始末書の記載を擧げている。しかしながら記録を精査してみると、右判示事実中糯米二斗を窃取したとの點については、これに照應する供述も證據もなく、また吉川誰一、柴田利夫、大熨正夫、横江比佐澄、大重孝太郎、万成伊勢吉の各氏名と似た氏名の者が提出した盗難届若しくは始末書はあるが、これらの者が提出した盗難届または始末書なるものは記録中に存在しない。あるいはこれは單なる誤記に過ぎないからこの點を攻撃するのは酷であるといふ議論もあるであろうが、いやしくも基本的人權を左右する刑事の判決書にかゝる多數の記載が誤記として許さるべきでないことは、更正決定のような規定がなく、補正の方法を定めなかった刑事訴訟法の建前上明かな所と思う。しかもこれが決して誤記でないことは第一審判決を比較してみると明瞭にわかるのである。原判決を第一審判決と對照してみると、第一審判決にも亦同じような誤った記載があり、原判決即第一審判決の謄寫の感を禁じ得ない。原審第一回公判調書には證據調をした旨の記載があるけれども、證據調をしたとすれば、実驗則上全く符節を合わせた誤謬を犯す筈はないから、事実上證據調は行われなかったか、あるいはおろそかに行われたものと斷定せざるを得ないのである。畢竟原判決は、被告人の自白を唯一の證據とした違法あるか、公判に於て取調ぶべき證據の取調をしなかったか、または判決に理由を附せず若しくは理由に齟齬ある違法あるに歸すると信ずる次第である。」というにある。
記録を調査するに、原判決は所論のように窃盗の犯罪事実を認定し、その證據として所論のように被告人の供述及び岡崎若松外二十九名提出の盗難届若しくは始末書の記載を擧げている外、金鍬、レーキ鍬、揮発油及び石油缶に關する被告人の供述と領置目録の記載その他を総合してこれを認める旨を説示しているのである。然るに、その判示には單に他人所有の糯米二斗…外雜品數十點を窃取したとのみあって、その糯米二斗は果して何人の所有であるか、雜品數十點は如何なる品種の物であるか、その他所有者の氏名又は員數及び各その被害物件の品目數量等は、その判示自體からしては全くこれを窺い知ることができない。しかも、判示同趣旨の證據として援用している被告人の供述には、糯米二升を盗んだ旨の供述はあるが、判示のごとく糯米二斗を盗んだ旨の供述はない。また、證據の説示として、岡崎若松外二十九名の氏名を列擧し、單にその「提出の盗難届若しくは始末書の記載」と表現してあるだけであって、その記載は果して如何なる内容の記載であるかの點については具體的の説示がなく、その提出者の氏名も内六名は、論旨のように氏又は名に誤記があるものと認められ正確でないばかりでなく、この證據の説示だけでは判示の不備と相待って犯罪事実、就中その被害者及び被害物件と當該證據との關連性を十分に理解することができない。その他證據説明に擧げた鍬、揮発油、石油缶等も判示被害物件のいずれに該當するか明らかでない。要するに、原判決は、その判示において、連續せる窃盗罪の具體的判示として必要な被害者の氏名又は員數を明示せず、その證據説明においても、その一部は虚無であり、その一部は證據の具體的内容を示さず、その一部は判示に照應することが明確でない等の不備違法があるから、到底破毀を免れない。論旨は結局理由がある。よって刑訴第四四八條の二に從い主文のとおり判決する。
この判決は裁判官全員の一致した意見である。
(裁判長裁判官 齋藤悠輔 裁判官 真野毅 裁判官 岩松三郎)